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22世紀に残す佐賀県遺産に認定


志田の蔵が22世紀に残す佐賀県遺産に認定されました。

「志田の蔵」が「佐賀県遺産」に認定

 2022年2月1日

18世紀半ば頃より志田には多くの窯があり、そこで生産される陶磁器は「志田焼」と呼ばれ豊富な生産量を誇っていた。
しかし、同地区内には大規模な問屋が無く、窯業関係者たちは買い叩き等の不利な取引を強いられていた。
そのような状況を改善するべく明治42(1909)年3月、地元の有力者や窯元などの出資により「志田陶磁器株式会社」が設立され、
志田地区における陶磁器の取引を担うこととなった。大正10(1921)年5月には製磁工場を買収し昭和59年11月まで生産が続けられた。
工場閉鎖後、専門家などによる価値調査があり、工場部分は嬉野市(当時塩田町)に譲渡され平成9年から志田焼の里博物館として公開されている。
当社は本来の卸業に専念し現在に至っている。
 「志田の蔵」は、通称「志(※)倉庫」と呼ばれ、大正時代に同社が取り扱う志田焼の大型火鉢などを保管する倉庫として建造された。
(※◯に志が正式な表記)
頑丈な松材の梁に支えられた建物は、当時の繁栄ぶりを物語る。なお、明治37(1904)年に開通した祐徳門前-武雄間を結ぶ「祐徳馬車鉄道」の引き込み線が5号棟と6号棟の間にあり、現在も線路が地中に残る。
 同社が事務所として使用している建造物は、旧武雄警察署を大正7(1918)年に買い受けて移築したもので、随所に警察署の面影を残している。
付帯建造物は元々本社事務所として使用されていたものであり、旧武雄警察署移築の際に後方へ移されたものである。
現在は催事用展示室として使用されているが、設立当初の管理人室(宿直室)等もあり同社の歴史を残している。
 また、同社での赤絵火鉢の製造は大正12(1923)年12月にスタートした。元々その場所には絵付けの作業場のみで赤絵窯は工場の敷地内にあった。
昭和27(1952)年に工場敷地から赤絵窯を移設し、作業場を増改築して現在の建物となり、以後は名称を「志上絵工場」とした。
戦後の厳しい状況下においても赤絵(色絵)の生産・販売へ向けて精力的に事業を展開しようとしたと考えられる。
赤絵窯は県内でもほとんど残っておらず、大変貴重な建造物である「志田焼の里博物館」とも深い関わりがあり、志田焼の歴史や肥前の磁器文化の隆盛を示すものとして貴重である。
 なお、「志田の蔵」は平成12年度に「佐賀県快適建築」特別賞、平成20年度には「志田焼の里博物館」と同時に経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されている。